通過儀礼~おひとり様の介護離職~最終回 介護は突然終わる

  2018/3/30

長らくお付き合いいただいたこの連載も、いよいよ最終回です。今までの経験から、少しでも介護に向き合う方、そしてまだ介護に直面していない方のヒントになればと思い、筆を執ってまいりました。この連載が、皆様のお役に立てれば幸甚です。

ザ・介護の開始

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~最終回 介護は突然終わる
叔母の電話で突然始まった私の介護は、父の病気で突然終わりが宣告されました。


ある朝、父の首が異様に腫れているので病院へ行くと、「雑菌が入って炎症を起こしている」との診断でした。安心して帰宅しましたが、後日、医師から電話があり、「ガンの疑いがある」とのこと。

 
ガン? 何かの間違いでは? 認知症で苦しんでいるのに、まさか・・・。そういえば、しきりに腕がしびれるといっていたので、思い当たるフシもありました。しかしながら現実は厳しく、詳しい検査の結果、既にステージ4で転移もあり、本来ならすぐに治療が必要とのこと。しかしながら、医師の判断は、「治療の対象ではない」という耳を疑うものでした。


通常、ガンの手術をしても、術後は点滴や抗がん剤投与などの治療が続きます。認知症患者の場合、管を引き抜いてしまったり、徘徊したりと、術後の管理が難しいので、治療は行わないとのことでした。要するに「死なせてやれ」というわけです。あまりに残酷な現実に、言葉を失いました。認知症だけでもショックだったのに、この上ガンだなんて…。皆が怯える病を2つも背負ってしまうなんて、こんなにひどい運命があるのだろうかと愕然としました。


しかしながら、心のどこかで「これで介護が終わる!」と思ってしまった自分もいました。すぐにその思いは打ち消しましたが、とてつもない罪悪感と自己嫌悪に苛まれ、申し訳なさでいっぱいでした。


すぐに気持ちを立て直し、セナンドオピニオンを受診したものの、結果は同じでした。原発病巣は咽頭部ではないかとの医師の言葉通り、次第に声もかすれがちになり、利き腕の右腕は二倍に腫れ上がって、筆談もできず意思の疎通もできなくなりました。何もしてあげられることが出来ず、可哀そうで仕方がありませんでした。


本来、認知症の患者さんがガンを患った時は、専門の病院に入ることが一般的ですが、母と話し合った結果、ギリギリまで在宅で一緒にいようと決めました。ところが、ここからが“ザ・介護”、地獄の始まりでした。

大人になるとは

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~最終回 介護は突然終わる
今までは興奮した場合は落ち着かせる薬を服用し、なんとか平静を保っていましたが、父は喉のガンだったため、錠剤や顆粒タイプの薬は誤嚥性肺炎を起こすために使えません。そのため、昼間はともかく、夜が大変です。自分がおかしい状態であることが分かるのでしょう、出ない声を振り絞って騒ぐので、私も母も交代で看病にあたりました。あまりのことに、つい汚い言葉で罵ったり、包丁を握ったりと、通常では考えられない言動をとってしまいました。今でもその時のことを思い出すと罪悪感に苛まれます。


また、「介護殺人」の加害者の気持ちも、そのとき分かりました。決して計画的な犯行ではなく、衝動的、もしくはどこにも相談できず、解決策が見い出せなくなった場合、やむを得なくとる手段であると実感しました。
私の場合は、父が病院に入るまでの2カ月弱の期間でしたので何とか耐えることが出来ましたが、1年、2年とこの状態が続けば、介護する側の精神状態はまともではいられません。


その点、ここでも介護はヒトゴト、タニンゴトで、当事者にしか分からない側面があると、その時ながらに痛感しました。


結局、しばらくして車で30分くらいの病院に入院することができ、私の家は平穏を取り戻しました。しかしながら、家を出て入院する日は、「もう父はこの家に戻って来れないのだな」と、とてつもない寂しさが胸をよぎりました。


命の期限を切られ、湧いてきた感情は、「できる限り一緒にいたい」でした。テレビドラマ「3年B組金八先生」の第一作(第6話)で、「愛」について語る金八先生のセリフが蘇りました。


「花にも、茶碗にも一枚のレコードにも、限りある命がある。いつかは必ず消えてゆくでしょう。それでもなお一緒にいたいと願う心。それが愛なんです」

「愛」というもの

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~最終回 介護は突然終わる
まさしく今の心境はこうだ、この感情が「愛」というものなのか。


それまでは人を愛する、という感覚がよくわかりませんでしたが、そんな私の欠落した部分を、父は最後に介護を通して埋めてくれたのだと思います。


その後、毎日病院に通い、2か月後に父は亡くなりました。


自宅に戻った際、横になった父を見て、私は号泣しました。何か糸が切れたように感情が解放され、ただただ泣き崩れました。溢れてくるのは「ありがとうございました」という感謝の思いしかありませんでした。


いい年をして独身で、転職ばかりして腰も落ち着かず、同世代の友人が家族を作っている中、父はさぞかし私を心配していたでしょう。自分でも、いつまでたっても半人前、言い換えれば大人になり切れていない自覚もありました。そんな私を、父は介護を通して「大人」にしてくれたのだと今では思っています。

あなたの「通過儀礼」は何ですか。

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通過儀礼~おひとり様の介護離職~最終回 介護は突然終わる
現代は戦争もなく、飢餓や病気のリスクも昔に比べたら格段に減っています。そのため、生命の危機に直面し、生きることについて切迫した状況に陥ることも稀です。そのためか、昔に比べ、日本人は幼くなっている気がします。むしろ日本人全体が成熟することを拒み、すべてを他人のせいにしてネットで悪態をついているだけのような、幼稚な人が多いように見えます。


それでも、リストラや病気、自然災害など、「思い通りにいかない」事象を経験することで、大人になっていくていくのだと思います。それらは多かれ少なかれ誰しもが経験する「通過儀礼」であり、私の場合は「介護」だったわけです。


長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。介護に限らず、人生の試練に直面されている方もいらっしゃるかもしれません。その時は、「学びの機会を得られた」と考えてみてはいかがでしょうか。大変な状況でも、努めて冷静に、「最終的にどうなっていたいのか、欲しい結果は何なのか」を考えてみてください。きっと打開策が見つかるはずです。


あなたの「通過儀礼」は何ですか。

介護の間、支えになった名言

・「逆境に勝る教育はない」(ベンジャミン・ディズレーリ:元イギリスの首相)
・「困難に陥った時、切り抜ける手だてになるのは自分の意志だけだ」(E.アラン:フランスの哲学者)
・「逆境は、それまで開いたことのない魂の目を開いてくれる」(モーリス・メーテルリンク:ベルギーの詩人)
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